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劇団四季ミュージカル「ノートルダムの鐘」を観て、原作「ノートル=ダム・ド・パリ」が気になったので読んでみた

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2019年9月、劇団四季ミュージカル「ノートルダムの鐘」京都劇場公演を観劇し、その世界にどっぷりハマった。本当に凄かった。開始から圧倒され、以降CD音源だけでも泣けるほど感動した。これまでも劇団四季ミュージカルはいくつか観劇しているが、私の中では1・2位を争うほどの傑作であった。

 

劇団四季ミュージカルは小学生の時に見た「人間になりたがった猫」が初めてで、その後「CATS」「美女と野獣」「ライオンキング」「アラジン」「リトルマーメイド」等を観劇してきた。元々ディズニー映画が大好きなため、このようなラインナップになっているが、その中で「ノートルダムの鐘」だけは気が進まなかった。

 

その大きな理由は「ハッピーエンドな気がしない」ということだった。

感情移入しやすい私は、ミュージカルに限らずアニメ・マンガ・小説・映画においても、ストーリーによっては日常に支障をきたすほどひどく落ち込む。そのため「ユゴーの原作によせたシリアスな内容」とされていた今回のミュージカル版がハッピーエンドじゃなかった場合、劇団四季のすばらしい音楽・歌・演技によって、ますます大ダメージを受ける可能性があったのだ。

劇団四季 作品紹介》

はじめに Introduction|『ノートルダムの鐘』作品紹介|劇団四季

 

しかし、あの素晴らしい音楽の数々を、劇団四季の生歌で聴けるならば!と観劇に至った。結果は冒頭でも触れた通りである。京都劇場までは自宅から2時間かかるが、京都公演が終わる間際にもう一度観に行ったのであった。

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                  Photo by Rohan Reddy on Unsplash

さて、ミュージカル版の良さを語るのはこの辺にしておいて、本題に入ることにしよう。

前述したとおり、「ユゴーの原作に寄せたシリアスな」ミュージカル版がとても良かったため原作が気になり、約8か月かけて読破した。今回は「アニメーション版・ミュージカル版と原作の違い」を中心に記していきたいと思う。

 

あくまでも、個人的に気になっていた「違い」について述べていくもので、原作が良いとかアニメーション版がダメだとかいう批判や批評ではない。私はアニメーション版・ミュージカル版・原作、どれも好きである。拙い表現もあるかと思うが誤解しないで頂きたい。

<もくじ>

 

原作読破までに8か月かかったことについて

1つの物語の読破までに8か月かかったことに驚かれる方もいると思うので、その理由について述べておく。

私は小さい頃から本に親しみ、日常的に読書をする方で、スピード感のあるミステリーなどは1日で読み切ってしまうくらい本が好きである。それにも関わらす、「ノートル=ダム・ド・パリ」にはかなりの時間がかかってしまった。

 

それは大変「長くて、読みにくい」小説だったからである。

岩波文庫から出版されている文庫本は上・下があるのだが、問題はそこではない。前置きが長いのだ。上巻では、パリの街やこの時代の建築についての説明が多く、私たちがよく知る「ノートルダムの鐘」は一向に始まらない。

また、いざ物語が動き出したら登場人物の多いこと。1度しか出てこないような脇役まで名前がついている。当然ながらすべて横文字の名前なので、世界史の授業で「この人さっきでてこなかったっけ?」と困惑したあの日が思い出される。

 

これは、私が読みなれていないジャンルで、かつパリの街並みや文化になじみがないということも要因なので感じ方には個人差があると思うが、映像で見たほうがわかりやすい物語だと感じた。

もし「ノートルダムの鐘」に一切触れたことのない方にお勧めするならば、アニメーション版であらすじを把握し、ミュージカル版で素晴らしさや作品の深さを知り、原点が気になった方は原作を読む、という順番をお勧めする。

ちなみに、小説を読み終え、もう一度アニメーション版を見直したが「ディズニーはよく90分にまとめたな!!!」という驚きが大きかった。子供が観ても理解できるよう手は加えられているが、シリアスさが全てそぎ落とされている訳ではなく、凝縮された内容でとっかかりとして最適だと思う。

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                  Photo by KaLisa Veer on Unsplash

原作との大きな違い

エスメラルダとフィーバスのキャラ設定

アニメーション版・ミュージカル版と原作との違いは、細かいものを含めればたくさんあるが、大きなものとして挙げられるのは、この2人のキャラクターが大きく異なることだろう。

 

フィーバス

原作ではフェビュスと発音されている。アニメーション版・ミュージカル版では、仕えていたフロローのやり方に逆らって民衆を助ける正義感の強いキャラクターとして描かれている。

しかし原作では、酒と女が好きな遊び人に徹しており、正直良い所などひとつもない。何かのきっかけで自分の中の正義が目覚め、王子様的な要素が開花するのだろうと読み進めたが、結局最後までクソ野郎だった。

エスメラルダのことは遊び相手としか考えておらず、「フィーバス様のためなら、両親に会えなくなってもいい!純潔を捨てます!」とまで言わせておきながら、その後はなるべく関わらないように過ごすというクソっぷりである。

 

エスメラルダ

アニメーション版・ミュージカル版では、虐げられてきたジプシーの踊り子でありながらも、強く逞しく生きているヒロインとして描かれている。差別を受けるカジモドにも偏見を持たず優しく接し、心を通わせていく場面や、仲間のために大聖堂で祈り歌う場面が印象的である。

しかし、原作ではとても純粋で世間知らずなところが見受けられる。遊び人のフィーバスに口説かれてまんまとついていき、前述したとおりその後フィーバス側ではエスメラルダを避けていたのに対し、最後までフィーバスが白馬の王子様だと信じて疑わなかった。無実の罪で処刑されそうになったところを助け、匿ったカジモドに対しても、心を通わせるどころか見向きもせず、「フィーバス様を連れてきて!」と言うのである。

 

以上のキャラクターの違いにより、物語の進み方が大きく変わってくる。

原作では、エスメラルダはカジモドを追って大聖堂に行ったりしないし、仲間のために祈る場面はない。フィーバスはエスメラルダのために仕事を捨ててまでフロローに盾突かないし、パリの民衆に立ち上がるよう声をあげたりしないのである。

 

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(上) (岩波文庫)

  • 作者:ユゴー
  • 発売日: 2016/05/18
  • メディア: 文庫
 

 

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

ノートル=ダム・ド・パリ(下) (岩波文庫)

  • 作者:ユゴー
  • 発売日: 2016/06/17
  • メディア: 文庫
 

 

物語を動かしている人物は誰か

するとこの物語の重要なシーンで主要な人々が交差しないことになる。では、この物語は誰が動かしているのか。

カジモド・エスメラルダ・フロロー・フィーバスが主要人物であるが(ミュージカル版においてはクロパンも)、実は原作ではもうひとり、重要な人物が登場する。

ピエール・グランゴワールという劇作家の男性である。原作ではこの人物が一番最初に登場する人物となっており、物語とそれぞれの登場人物とを繋げる役割をしている。

 

クロパンたちの隠れ家「奇跡御殿」で絞首刑にされそうになるのはこの男だし、ノートルダム大聖堂での暴動を焚きつけたのもこの男である。挙句、フロローと共に、カジモドが匿っていた場所からエスメラルダをさらったのも、ピエール・グランゴワールである。

 

ラストシーンについて

ここまで色々と述べてきておいてなんだが、ラストシーンはまだ観劇していない方のために、記述を控えさせていただきたい。是非、ミュージカル版を生で観て、自分が感じたものを大切にしてほしい。

 

まとめ

アニメーション版・ミュージカル版と原作の最大の違いは、主人公が「人物」か「街」かというところにあると思う。

 

アニメーション版では、ディズニーのアニメらしく、主人公=カジモド、ヒロイン=エスメラルダ、悪役=フロロー、というように役割がはっきりしており、その主要な人物たちがどうなっていくかにスポットが当てられている。

 

しかし、原作ではあくまでもパリ、そしてノートルダム大聖堂を中心として話が進んでいく。登場人物はその時代に居合わせた、一市民として描かれていて、誰かにとっての物語が終わった後も、他の誰かにとっての日常が続きパリは動いていく、という様子が感じられる。

 

そしてミュージカル版だが、フロローにアニメーション版のような絶対的悪役感は感じなかった。原作のようにフロローの背景や生い立ちも描かれているため、この激動の時代や立場に翻弄された一市民であり、「宿命」に囚われたひとりなのだということがわかる。

事実、現実には絶対的な「悪」が存在しない。皆なにかしらを背負って日々選択をしている。「これさえ倒せばすべて平和に、幸せになる」という絶対的な悪が無いからこそ、ミュージカル版で強調されているように、誰もが「人間」にも「怪物」にもなるのである。その点が、ユゴーの原作からミュージカル版へと継承された重要な部分であるように思う。

 

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